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私たちと国家
2008年7月号
この国はとうとう国民の命を守ることさえできなくなったのか。国家の本質は暴力である。暴力が権力を支え、国家権力の領域が確定し安定する。その権力が国民に受け容れられるのは、権力が自国民の命を守ってくれる限りにおいてである。
「人の命は地球よりも重い」という名(迷)言を吐いて、テロリストの脅迫に屈した首相がいた。「国家の毅然」を示すことなくズルズルと追い込ま れ、人質の交換に応じてしまった。この屈辱的で安易な妥協に、各国の識者は、テロリストに国家のもろさと節操のなさを暴露し、同種の犯罪を誘発しかねない 行為と眉をひそめた。
そして今、日本はテロ国家・北朝鮮と取引し、拉致問題の幕引きをしょうとしている。今回もまた、国家の基本責務を放棄し、安易な妥協の道をたどっていると思う。
「国交回復なくして拉致解決なし」という妄言が闊歩し始めたと思ったら、またたくまに被害者返還に黒い幕が引かれてしまった。一連のこの動きには、日本一の発行部数を誇る某新聞の報道も一役買ったというから、周到に準備された策略なのだろう。
核爆弾廃棄の何の言質を取ることもできないままに、早々と核問題解決進展のシナリオがつくられた。他の人骨まで持ち出して嘘で固める北朝鮮が、今頃になって「調査する」といっただけで、被害者返還に一歩進展ありという強弁がなされている。アメリカ(ブッシュ政権)は、北朝鮮から足元を見透かされ、 テロ指定国家解除への舵を切った。そのアメリカからどのような脅しや甘言があったのだろうか。北朝鮮の問題になると、某大物政治家が必ず登場する。なぜなのか。この人たちには、北朝鮮から脅しや甘言が寄せられているのだろうか。
「日本は脅せば何でもする」…欧米露の中には、日本対処への確信めいた経験則がある。日本はこの種の脅しに手もなく屈してきた歴史をもつ。脅されれば国家としての矜持を示すこともなくズルズルと後退してきたが、今またその悲しい性(さが)を繰り返そうとしている。
「めぐみを私の元に返して!」…個人にとって「子どもの命を救いたい」は、命の叫びであり、最重要の祈りである。この具体的な明々白々をないがし ろにしようとする国家にとって、それ以上に大切な責務とは一体何なのだろう。国家という権力構造が成立できるのは「国家が命を守ってくれている」と人民が 安心できている限りにおいてである。この安心が得られなくなったとき、人民はその権力を否定し、権力を取り替えてきた。これが歴史が教える人民と国家の関係である。
しかし、何をされても怒らない日本人にとって、権力を取り替えることなど、考えも及ばないことだろうと思う。しかし、もうそろそろ、一人ひとりの 命と国家というものの関係の基本に立ち返って、自分の生きる軸を決めないと、何がなんだかわからなくなってしまう。そんな国民に選出される国家権力の担い手たちが、一体どんな国づくりをするというのだろう?
めぐみさんがもし私の娘だったら、私は今何をどうしようとしているだろうか?