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工藤さん

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いろんな立場があるさあ~…独立志向の沖縄

2013年5月号

  先週沖縄に行って、沖縄の仲間と一献傾けた。そのひとりが唐突に「もう日本政府には期待できない。日本から独立するしかない」と言った。そして次の朝、沖 縄タイムズと琉球新聞の記事を見せてくれた。  記事によると、祖国復帰の日の5月15日に「琉球民族独立総合研究会」を立ち上げて、「国連脱植民地化特別委員会への琉球登録」などを目指すという。 「植民地」…歴史の教科書で目にして久しい言葉だ。本土の人間にとって、同質民族であるはずの国内からまさか「植民地」問題が提起されるなど、思いもよら ないことだと思う。

 しかしこれは、中国の圧政に苦しむチベットからではなく、私たちの沖縄から提起されているのである。 7年前の「よ~そろ12号」に登場してもらった沖縄の城間巌さんが、「経済特区」という言葉を使っていた。日本国に属することでは妥協するが、交易には関税をかけるな、政府への「上納金」は収めるから…というものだった。 この頃の沖縄の人びとはまだ、日本国家に属する中で最低限の自由を得たいという、マイルドな選択手を希求していたように思う。

  しかしいま沖縄の世論は、日本国家が沖縄の立場や心情など一顧だにせず、防衛論の都合だけでしか物を見ていないことを看破してしまったのだ。 琉球王国は、1609年に薩摩藩から侵略されて属国になった…本土の人間には歴史のかなたの出来事だが、沖縄の人たちの心情には、まだ生々しい現実であ る。太平洋の沖縄決戦で大変な犠牲を払わされた上、戦後はアメリカの実質植民地となり、屈辱を味あわせられた沖縄の人びと。そして本土復帰後も、最初の基 地返還計画から17年も経った今でも、基地問題には何の展望も見えていない。見えているのは、沖縄がどう反対しようと、日米関係は辺野古移転が前提で動い ていることだ。

  かつて自民党は、国防の名のもとに沖縄に負担を強いるばかりだった。しょせん国家と個人の生活は「対峙する関係」でしかないとはいえ、あまりにも「民の声」に耳を傾ける真摯な努力を怠ってきた。事態を深刻化したのは、宇宙人総理の幼稚な発言であった。沖縄の心に期待させ、踏みにじった民主党の詐欺的行為 は許しがたいが、自民党に代わったいまもまた、詐欺的行為で沖縄の心を弄んでいる。

  「普天間基地は、辺野古への基地移転を前提に、2022年までまたはそれ以降に返還する」という日本語は、どこからどう読んでも基地返還の時期を明示して はいない。 本土の人間にとって沖縄は、何をされてもおとなしくしている地方という認識なのだろう。しかし沖縄は、単純に本土と同質の地方なのではない。島を旅すると よくわかるが、自然の風土も街並みも、本土と違うエスニック性に溢れ、むしろ東南アジアの国々に同質である。「縮み志向」の本土びとに対して、沖縄びと は、外に開いて大らかでゆるやかである。このやさしさとゆるやかさを「従順」と勘違いして、勝手放題する本土びとたち。那覇から東京は1500km、那覇 から台湾はわずか150kmで目と鼻の先。沖縄は独自である。

  国家の立場からは、尖閣諸島問題の先鋭化で、沖縄の基地はますます重要度を増した。しかしこれは国家の立場上であり、沖縄の人びとの日々にとって、国境は 「国の境(くにのさかい)」という、行き来する交流の場である。そしてその国境(くにさかい)の向こうには、かって親しく付き合った国々がある。 日本国家が、「国益」「国防」という立場を強要して沖縄の心を弄ぶなら、そんな国はもう要らない。自然だった生活集落・琉球王国に戻りたい。果たせない願望だと諦めかかったこともあったが、いま、現代版の植民地政策とも映る、日本という国家の不誠実が立ちはだかる以上、結束して対峙するだけの現代的な価値 を有する。

 これがいま、沖縄の人びとに浸透しつつある心情である。 私たちは、日本人の同質性を安易に誇らしく語る性癖がある。しかし人間世界には、いろんな価値があり立場がある。このことを忘れてはならないと思う。私たちは「同質性」という心地よい響きに酔って、大切なことをたくさん失ってはいないだろうか。【工藤】

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