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いま、日本におかしな風が吹いている
2015年9月号
いまこの国には、国の針路を誤らせない正常な民意の形成ができにくくなってきている。
正常な民意形成には、国の基本事項について、事実に基づいた正確な情報の提供が大前提であり、それを国民一人ひとりが、咀嚼し検討する時間と場の提供が肝心である。
しかし今の日本では、権力の座にある政治家と官僚が、意図的に基本情報を捻じ曲げ、真実を隠ぺいしようとしている。すでに国の針路に係る次のような重要ジャンルにおいて、国民を立ち眩み状態にした中で、国の針路が決められている。忌々しき事態である。
■国民の借金1千兆円
財務省は、日本国民は1千兆円…1人当たり817万円の借金を抱え、国の経済は破綻の危機にあると煽ってきた。ために国民の心は、とてもお金を使う気になどならないと萎えている。そして国の経済も、1997年以来デフレが続き、名目GDPは1997年をピークにまったく伸びないという、目を覆いたい惨状が18年間も続いている。
しかし「日本国民は借金だらけ」というのは嘘で、「経済が破綻の危機」というのもまったくの嘘である。財務省は、垂れ流しの財政運用で生じた財政赤字を糊塗するために、消費税を上げようとはかり、その便法としてとんでもない出まかせを言い、国の針路と国民をミスリードしてしまった。国民から希望を奪い、国の経済を18年間も「死に体」にしてしまった…これはもう犯罪的である。
実は日本は、322兆円という世界最大の対外純資産をもつ世界一の金持ち国であり、日本人は世界一の金持ちである。借金の民などとんでもない話しである。だから本来は、大いに建設し消費して、一刻も早くデフレを脱却して、元気で健全な社会と経済を創るべきところ、国民も企業も、財務省の嘘八百に騙されて、「借りない・使わない・作らない・貯め込む」だけの低欲求委縮症候群にかかってしまっている。
1千兆円もの借金をしているのは、国民ではなく政府である。しかしこの借金はギリシャ等と違って、借金は自国通貨建て、貸し手はお金持ちの日本国民そのもので、危険な取り立てなどない。さらに1千兆円の借金の20%は、日銀の国債引受けという形の借金である。日銀の株式の55%は政府が保有しており、日銀は政府の子会社であるから、連結決算すると、200兆円もの政府の借金は消失し、日銀が紙幣を大量に刷っただけ、という整理になる。財務省が煽る経済破綻など起こらないのである。
それで、政府の借金は、公共投資をやり過ぎたせいだろう。いやいやそうではない。公共投資(公的固定資本形成)は、1996年に44兆だったものが、2011年には20兆円と、その規模は半減!してしまっている。政府は、放漫財政に浸る中で、公共インフラの整備をすっかりさぼってしまっていたために、国のインフラは老朽化してしまい、たとえば超大型コンテナ船が入れる港が日本にはひとつもないという、貿易立国としては屈辱的ともいえるインフラ不足を来している。
日本には、責任を曖昧にしたまま失敗を重ねる悪癖があるが、この国家予算でまたぞろそれを繰り返してはならない。借金を負っているのは政府である。嘘を繰り返す中で、国民の心と国の骨格をぐちゃぐちゃにしただけで、国家百年の計に必要な公共インフラ整備さえも怠ってきた為政者と官僚に、国民は怒りの矛先を向けねばならない。(この項は、「月刊三橋スペシャルリポート」を参考にさせていただいた。)
■国の防衛…安保関連法
◆憲法学者150人中146人が集団的自衛権の行使を違憲としているのに、首相は「学者が国民に責任をもてるわけではないから聞くに値しない」と豪語する。
◆首相補佐官も、その首相を代弁して「時代の要請に従って防衛政策は変容すべきで、法的安定性など関係ない」と豪語し、首相は彼を罷免しない。
◆防衛大臣は何と「手りゅう弾は武器ではない」と強弁し、核兵器の輸送さえも法的には制限されていないと嘯(うそぶ)く。
*首相は、広島の平和記念式典の挨拶で、被災者の魂の祈りともいえる「非核三原則」に触れなかった。模様視だったのか、批判が集中すると、一転して長崎の式典ではあいさつに入れる…魂胆が見え見えで、姑息である。
立憲政治の基本を踏みにじるこれらの言行を放置したままで、十一もの法案を一括審議するという目くらまし策で、内容を国民に知らしめないままに安保関連法は制定される。そして、衣の下から戦争信奉の鎧が見え隠れする怖い人たちの裁量で法律が執行されることとなる。
■原発再稼働
川内原発の再稼働が、原子力規制委員会の審査にパスして決定した。そして原発ゼロは2年で終わり、再稼働体制は順次整っていくこととなる。しかしいったい、福島原発事故で発覚した深刻な諸課題が、こんなにも早く解決できたのだろうか。例えば六ヶ所村の再処理場の問題や廃液処理には、いったいどのようなE難度の対策がなされたのだろうか。これら原発に共通の課題は置くとして、川内原発だけに限っても疑念は増すばかりである。
◆川内原発が乗っかっている北薩火山群には、阿蘇山~桜島が連動する巨大噴火の危険性が指摘されている。規制委員会は、巨大噴火のリスクは高くないとしているらしいが、火山の専門家は、委員会のその判断に科学的根拠はないと言っている。いま、桜島は噴火警戒レベル4である。
◆近辺の住民にとって命がけの課題である「非難」対策は不備のままで、十分な避難訓練さえ行われない中で、なぜ再稼働なのか。
◆これまでの原発ゼロの2年間、日本は原発の稼働がないままで、電力不足を来したことがなかった。九電の電力需要は、供給力の80%未満で推移したという。今年も原発ゼロで猛暑を乗り切ったばかりのその直後に、重要課題を放置したまま、再稼働反対の声が57%もある中で、稼働をなぜ、なぜにそんなに急ぐのか?原発は休止していても結構な費用がかかるらしい。それなら、稼働した方が採算がよくなるという、電力会社の都合が優先されたのではないか。もしそうなら、本末転倒の暴挙である。
■米軍基地の沖縄集中配置
近年の中国は確かに脅威である。だから辺野古基地の新設必須…政府の見解である。しかし一体なぜ、人口比1%の沖縄に米軍基地の74%を一極集中配置なのか。
◆沖縄には、26,000人(日本全土の70%)の米国兵が駐留しているが、これは東シナ海は要衝だからということだろう。ならば、肝心の自衛隊が、わずか全国の0.6%(6,300人)しか配置されていないのはなぜなのか。日本が率先して自衛しなければ米国は助けてくれないという正論の真逆をいくものではないか。
◆辺野古基地の案が出てきたのは1997年。その後の18年間、国際情勢は大いに変容し兵器にも進化を見た。この案は、その18年の変容と進化に応じて練り直され研ぎ澄まされてきたものだろうか。沖縄一極集中配置で、日本の防衛だけでなく、米国のニーズにすべて対応しようとする全方位型の配置で、上陸作戦のプロである海兵隊(現状15,000人)の作戦はいかにも重たそうで、かって飛行機優位の時代に対艦主義を捨てきれずに大敗した過ちの二の舞になりはしないか。
◆手段を択ばない中国相手だ。専制攻撃にどう対処できるかこそが装備のキーポイントである。これは重たい全方位型配置とは対極のもので、迅速で軽やかで効果的な「初期対応」ができるよう、最新鋭の装備を東シナ海に配置しておくことである。そして初期攻撃の次の第2動作以降は、本土に分散した兵力装備を連動させる連携プレイである。本土との連携プレイの中での、中国の専制攻撃に備える最低限の装備配置なら、沖縄の人びとにも納得的だと思う。
◆危機管理の観点からは、集中よりも分散である。米国のナイ氏(元・米国防次官補)も言っている。「1か所(沖縄)にすべて(の米軍基地)を託すのではなく、卵を入れた籠を落としても、壊れる卵が少なくて済むように(基地分散)すべきでしょう」と。
沖縄の人びとがこれだけ反対しても頑として聴く耳持たぬのは、官僚がもつ悪名高き体質の故だと懸念する。官僚は既成事実の亡者であり、一旦決めた政策の変更を蛇蝎のように忌み嫌う。今更18年も前に作った政策の是非を問い直すなど沽券にかかわる、という自分の都合の方が国益よりも大事だということだ。だから沖縄の苦難の歴史なんかには目を瞑って、既成事実を強引に押し付けようというのだろう。政治家は、その官僚のお膳立ての上で踊るだけである。
経験したことのない課題をたくさん抱える日本はこれから、試行錯誤を行いながら新しい国の形を創っていくことになる。ならば、結果を随時検証し軌道修正していく柔軟な姿勢と胆力が必須である。しかし、国益より小利、改革より保身を優先する官僚と、踊るだけの政治家は、新しい時代の潮流から外れ、またぞろ大いなる無駄を繰り返すことだろう。【工藤】