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国境を越えて頑張っているヒーローたち
2013年7月号
中国の首相が沖縄を自分の国といい、その国家主席が、大平洋は中国とアメリカが勝手気ままにできるほど広いという。日本という国は何をたわけたことを、と尖る。
国家とは厄介なもので、それが前面に出てくると、国益という名の突っ張り合いで、諸事、関係は深刻化するだけだ。
しかし、中国という、この傍若無人の専制国家にも、虐げられた声なき民の「最後の怒り」にはピリピリと気を使わざるをえない弱味がある。一方日本という国家には、民主主義という建前があり、迂遠ながらも、個人の総和が国益を決める力学がある。そう、いろいろあっても、国家の基礎は個人である。ならば、国際 関係を、国家という、できの悪い被造物に一任するのでなく、主役である個人のパワーで引き受けてはどうか。 「国際関係で、個人の力など…」と、馬鹿にするなかれ。実はすでに、あちらこちらで、個人は国を代表する顔として活躍している。個人の純な想いとその行動力は国境を越え、国家間の騙し合い交渉などでは及びもつかない、確かな親交関係を樹立している。そう、個人によるこれらの素晴らしい偉業を総和すると、国連の力をはるかに凌ぐ国際貢献の度合いになるのではないだろうか。
先日、トルコとアフリカの二人の日本人ヒーローの報道を目にして、心が晴れて愉快だった。 トルコのヒーローは、故・宮崎淳さん。トルコ国民のほとんどに知られている日本人ヒーローだ。東日本大震災をきっかけに、国際NGO「難民を助ける会」の門を叩いて入会した宮崎さんは、2011年にトルコ大地震が発生すると、いち早く最大の被災地ワンに駆けつけた。そしていくつもの避難所を回り、食糧や水 を配り続けた。笑顔を絶やさなかったという。
宮崎さんは取材を受けた時「東日本大震災では、トルコの人たちに助けてもらいました。ここに支援に来るのは当然のことです」と話したという。その宮崎さん に思わぬ悲劇が訪れ、余震で崩壊したホテルのガレキの下敷きになり、帰らぬ人となった。彼の笑顔とやさしい心根はいま、町の中学校の名称として、町の通りの名称として、はるかかなたのトルコの人びとの心に刻み込まれている。
ケニアにも日本人ヒーローがいる。佐藤芳之さんだ。宮城県出身の佐藤さんは、同じ東北出身の野口英世氏が黄熱病で生涯を閉じた国に憧れて、単身24歳で ガーナに渡った。たまたま訪れたケニアで、マカデミアナッツの農園を見学したのがきっかけで、「ケニアナッツカンパニー」を創った。 当時は5~6人だっ た従業員は4000人以上の規模となって成功したが、還暦を目前にして、彼は経営権をケニア人に委ねたのだ。そして今度は、ルワンダに移住し、下水道や浄 化槽が未整備の現地で、食肉加工工場や汚水処理場の消臭・浄化などを始め、現在73歳だという。ケニアのヒーローは、今度はルワンダのヒーローとして生き ている。
韓国の大統領が、日本を飛ばして中国に就任のあいさつに訪れている。アメリカ訪問の次は日本という慣行を破るのは、韓国の大統領として初めてだという。北 京空港でタラップを降りるその彼女の笑顔の下には、手練手管が丸見えで、それが報道される日本では、敵対色が濃くなっており、日韓関係はますます悪化の一 途をたどる。
国と国の関係なぞ、歴史的にはしょせん、この不毛な蛮行の繰り返しに過ぎない。国と国の突っ張り合いに何の展望ももてないならば、国家の主役であるはずの 個人こそを、もっともっと前面に押し出して、そのたくさんの偉業に世界の人々が和んで勇気づけられる、そのような仕組みができないものか。
宮崎さんの心根や佐藤さんの厚情のような個人のたくさんの頑張りが、国境を越えて信頼の絆を築きあげているのも、国家間の不毛な関係とは別の、もうひとつの国際関係の現実である。このことを見据え得る鏡をこそ、大切にしたいものだ。【工藤】