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男たちよ やせ細らないで!
2013年9月号
中国の女性に「中国の女はよく働くが、働かない男たちは何してるのか?」と問いかけたら、「男たちは詩を読むから…」と誇らしげに答えたという。何と もいえなく心が騒いだ。そういえば、昔は日本でも、お茶も歌舞伎も男たちのものだった。江戸時代までは確実に、文化の担い手は男たちで、生業(なりわい) と文化は一体になっていた。いつ頃からだろうか、男たちに文化の匂いが消え、女たちが我が物顔で、文化の主体者を気取るようになったのは…。
日本の伝統を破壊しょうとしたマッカーサーの陰謀というわけでもなかろうし、明治になって、西洋に追いつけ追い越せと頑張った頃からなのか?そんなことでもないだろう。
西洋では社交が盛んで、そこでは文化も経済も一緒たくだ。もしかしたら、男たちに文化の匂いがしないのは、日本特有の現象なのではないのか?そういえば、 私の先輩が、中国のリーダーから「日本には百年後の日本を考えている人が居ますか?」と聞かれ、うつむくと、「中国にはたくさん居ますよ。アメリカにもた くさん居ますよ」と言われて恥ずかしかったと言っていた、その光景と同根なのではないか!
百年後の事とは言わないまでも、日本の男はつくづく「無駄」をしなくなったと思う。アメリカの「MBA」とかいうブランドを崇め奉り、「費用対効果」とい う近眼的な物差しを有り難がって、朝に夕に損得勘定をしているうちに、「無駄するな」宗教の虜になってしまったのではないか?
そもそも文化というものは「無駄」がその本質であり、自分の寿命を越える百年後を思うなど、絶対的無駄といえば無駄である。いや、無駄といえば、そもそも人間の存在そのものが勘定に乗らない「余計もの」だ。
確たる目論見をもって始めたわけではない人生ではあるが、そこには「費用対効果」の物差しではとても測りきれない、大いなる価値がたくさんある。子に向け られる母の愛は深くて無償である。恋人への愛は一途で爆発的であり、ボランテイア活動は、与えっ放しで見返りなど求めはしない。
日本の男たちは、人生航路には、夢やパッションや一途や献身、それに波乱万丈というセクシーな魅力がせっかくあるのに、「費用対効果」という物差しに魂を売り、せせこましく事を測る習性を身につけてしまった。
昔は、いやしばらく前の僕の青春のころまでも、大盤振る舞いで客をもてなし喜んでもらうのは、男の本懐だった。しかし、この振る舞いも、いまや意味ない無 駄遣いに過ぎないということなのだろう。50年という短い時間軸でみても、日本の男は、「小さく小さく小さくなーれ」という悪魔の囁きに飼い慣らされてし まったとつくづく思う。
「失われた10年」というわけのわからぬ標語がまかり通り、日本という国が急速に縮こまって内向きになった頃からの現象なのだろう。そしていつのまにか、 「西洋を追い越せ」という明治男の心意気は、はるかかなたに消え去って、百年の野望大計をもつアメリカに盲従してきたこれまで…、そしてこれからは、詩を 読む中国の男どもが引っ張る国に翻弄される運命になるのだろうか?
文化を捨てた愚かな男たちよ!この際「費用対効果」などという近眼的算盤の勘定を捨て、計算高い生き方と決別することだ。そして自分のことにも日本のことにも、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、無駄遣いしてみることから始め直すしかないではないか。
一度でいいから、妻たちに、観劇と豪華ランチの贅沢三昧を「止めろ!」と叫んでみよう。そして、500円玉で昼飯喰ってお釣りをもらう毎日など糞くらえ! と、一度でいいから部下に大判振る舞いしてやったらどうか。まわりの景色が激変するだろう。妻の眼差しは畏怖の念に溢れ、部下からは、畏敬と忠誠の眼差し が放たれる。世界が変わる。大盤振る舞いした君はいつのまにか、自信に溢れ、「男の本懐」に生き始めることだろう。
お正月になると、大黒柱を背にドッシリ座り、家族に御神酒を晴れやかに振る舞っている君…伝統を受け継ぎ文化を楽しみ始めた君はとても素敵だ。【工藤】