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巨視的ということ
2009年5月号
これからの日々を思っているうちに、「巨視的」という言葉がふと現れた。なぜだろう。きっとこの言葉が、人生を整えるキーワードになるからだろうか。
「何のために生まれたの?」という、解のない哀しい問いを背負い続ける私たち。解がないからやみくもに走り続けてきたのがこれまでの人生だった。
いま、心の中を悠久の時間が流れているのを実感するのが不思議だ。大いなる宇宙の気の遠くなるような時間軸…そして私たちが感知できる生命の根源としての地球のなりたちと終焉…その中で営まれてきた人間文明の軌跡。
日にちの生きがいもよい、喜怒哀楽もよい。しかし所詮、何のために生まれたのか不明なままに、決められたようにみな死んでいく…その定めを受け容れるに は、心に「おだやか」を運んでくれる何かが必要なのだと思う。死刑囚は、教誨師にさとされて「納得」し「おだやか」を得て死んでいく。そう、人生を整える には「おだやか」が必要で、それを得るには「納得」が要るんだ。
長年の経験で、日々の人間模様の中に「納得」の解がないことはわかっている。「納得」は、人智を超えたものに対して素直に得られるものだと思う。人智を超えた悠久のパノラマは、日常をも貫き通している悠久の時間軸ではかり、巨視的な視点で見ないとわからない。
歳をとると、人は旅を始め、学習を再開する。なぜなのだろう?心の中の小さなキャンパスを自分なりに埋められるのは、巨視的な目線での「納得」の筆致なのだ。
人は旅をして、地球生命に刻まれた「年輪の証言」と出会って納得する。人は、文明という人間の生き様を証する「文明の証人」と出会って納得する。文明の功罪などどうでもよい。文明の軌跡を追い、その終焉を自分に重ね合わせて納得して、人は「おだやか」を得る。
サロンくりっぷの編集者が吉利さんから宮川さんに変わった。宮川さんは、紙面を変えたいといい、衝撃的な「列車墓場」の写真をもってきた。これは天啓だ。 サロンくりっぷでは、「年輪の証言」「文明の証人」というコンセプトで、地球に文明に刻み込まれたいのちの軌跡を追う「フォトの旅」を始めることにしよう。【工藤】