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やさしいアナログ世界をこそ生きていきたい
2016年5月号
14年前、哲学者の故・森本哲郎氏が、NMNの講座でこう予言した。
「テレビとデジタル商品が、人間を痴呆化し、人の心をズタズタにしてしまう」と…。
14年後のいま、スマホという名のデジタル商品が、人間の感性を異常な速さで破壊している。電車の中が異様である。5人中3人はスマホをいじっている。スマホの画面を睨んでいるデジタル人間にとって、横に座っている人は、縁のない異邦人に過ぎない。そこには「関係」という繋がりも「間」という情緒もなく、だから「情景」などなくて、遮蔽された無機質の空間であり、無関心のバリアが張られている。
アナログの世界は違う。万年筆で書いた一本の線のようで、その線に切れ間はなく、やさしくしっかりと繋がりあっている。アナログ世界で電車に乗っている人たちの眼は、目の前のベビーカーの可愛い赤ちゃんに注がれ、周りには、頬を撫でてあげたいという、やさしいほのぼのした気持ちが漂っている。私たちの人生は、そもそもこういう風に響き合うアナログの世界である。
四六時中スマホをいじって、一体、何のために何を調べているのだろう。朝から晩までメイルを打ち続けねばならぬほど大勢の友達や大切なメッセージがあるのだろうか。大の大人が朝っぱらからゲームに耽ってどうするのよ。
そもそもデジタルの世界は、「0」と「1」という途切れた数字が連続しただけの、繋がりのない世界であり、いまそれが、制御不能なまま異常な速度で拡散している。もともと「0」「1」という意味をもたない数字が繋がった世界だから、どんなに拡散しようと、そこに出現するのはどこまで行っても不毛の世界である。この制御不能の不毛の世界が、人間社会の基本を破壊しつつある。
デジタル世界がもたらしたのは、利便と効率である。手間を省き無駄を排除し、手順という名の命令への盲従を強要する。デジタル命令に黙々と従ってさえおけば、安心が保障されているという、安直な錯覚の上にこそデジタル世界は成り立っている。人生は不可知で不可解で、安心の保障なんてできるはずないのに…。
コンピューターが、プロの棋士に打ち勝ったそうだ。だから何なのだろう?プロ棋士を破ったコンピューターは小躍りして喜んだか?その勝利は、生身の人間に、感動や幸せを運んでくれたのか?かって近代科学は、宗教を分解しまくって否定して、弱き人間にとっての最後の救いの場を破壊しようと、余計なことをしたことがある。武器の歴史は、刀や弓矢から始まって、際限なく一直線を駆け上がって、とうとう水爆という恐ろしいものを創り上げてしまった。何かが本質的に足りないのだ。この囲碁の勝利だってそうだろう。
デジタル技術は、指令のままに無表情にただただ意味なく直進するだけで、その先に、人間の幸せや不幸などという、感性に満ち満ちた世界などない。今度の囲碁の件も、人間社会に意味ない戸惑いを運び込んだだけのことではないのか。
デジタル技術というものは、およそ「生きる」ことの要素を削ぎ落とす魔界といえる。人間にとって手間をかけることは、かけ替えのない宝物を手に入れる必須の手順だし、無駄は、充実を得るための大切な要素であり、文化は無駄の上でこそ成り立つもので、デジタル世界が尊ぶ便利とは対極にある。日本文化の「間」や「間合い」は、無駄を許容する上にこそ成り立つものである。筋書通りにいかないという人生の面白みも、約束事のデジタル世界から見れば、言語道断の拙劣なのであろう。
デジタルという省略技術は、喜怒哀楽という豊かな感性までも削ぎ落とし、「超カッコいい」、「超むかつく」という浅薄な感情だけを突出させてしまった。喜怒哀楽とは、心が震えて涙する感動であり、命がけの怒りであり哀しみである。その人間由来の感性が、窮屈なデジタル世界に盗み取られてしまった。
デジタル化した世界にはいま、不都合ばかりが闊歩して、心は荒みがちである。ならばせめて、私たちはこれ以上劣化しないために、心が震える感動をこそ探していきたいものだ。まだ、森本氏が危惧したテレビの世界にも一抹の救いがある。人のふれあい感動を届けてくれる番組があるからだ。先般紹介した、「鶴瓶の家族に乾杯」に続く、「世界ナゼそこに?日本人」がそのひとつである。わざわざ手間暇かけて最果ての地に辿り着く、アナログ志向の人気番組である。
マイナス60度のアラスカの秘境84人の村に住む中島愛さん(87歳)をはじめ、最果ての地で逆境を踏みつけて、逞しく生きてきた女性たち。最果てに住むようになったのは、海外ボランティア活動に参加したご縁だという。最果てで1人ぼっちの日本人としての自分を振り返るとき、必ず幾筋かの涙がスーっと流れる。感動のひとコマである。彼女たちは、逆境を一人で耐えたあの辛かった日々を涙で辿りながら、絶望を乗り越えようと頑張ってきた日々に、確かな手応えと充実を感じているのだろうと思う。この幾筋かの涙を通した感動は、地球の果てまで手間隙かけて会いにいくアナログの世界でしか得られない。
僕はこれからも、万年筆の筆跡のようにやさしいアナログの世界を生きていきたい。