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工藤さん

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何とも哀しい…世代間ギャップ

2011年2月号

 いま日本は総じて元気がない…という段階をはるかに超えて、老若男女を問わず滅入ってしまっている。

 なぜだろう。日本はとてもよい国なのに。美しい大自然の恵み、その中で育まれた感性と豊かな伝統文化に囲まれ、世界一贅沢なモノに囲まれている平和な国ニッポン。
 少々不景気が続いたからといい、世界の中の地位が下ってきたからといって、滅入ってしまうことなどないはずだ。
 殺伐たる世界に誇れる「多様性」と「寛容」の文化と、小振りながら真に豊かな高度文明を両立させている国ニッポンなのだから。しかしどうして?

 日本人の心の奥底を切り刻んでいるのは、絶望的な世代間ギャップなのだろう。
 民族は、親から子、子から孫へと遺伝子を継承し、生活のリズムと大切な文化を伝え続ける。何よりも先代は、後代を愛し、後代のために自分の世代よりも豊かになる可能性の芽を残して去っていく。これが人間社会の基本ルールのはずだった。

 いま日本の年寄りは、自分の生活より子どもや孫たちの生活がよくなる可能性を確信できているか。否である。
   今年成人になった若者の90%は、日本の将来に不安を感じているという。
   いま私たち年寄りは、一方で、孫の世代には、地球規模でとんでもない惨事が起きそうだと心配し、また一方では、日本改革を託した民主党の体たらくに、政治の未来にも絶望し始めている。
 政治が駄目なら経済が頑張る…そんなリズムがかつてはあった。しかしいま、財界には、もはや「国家百年を見据えた渾身の提案」をする気概などほとんどない。
 政も財も官も、大義と本質から目をそらし、小さな殻に閉じこもって、嵐の過ぎ去るのをひれ伏して待っている。しかし、ひれ伏せば台風一過、晴天が戻る…というわけにはいかないのだ。
   目途の立たないままの未来を、どうして後代に継承などしてよいものか!

 未来か…団塊の世代が65歳になり、年寄の仲間入りをしたが、年金は保証され、これまでの贅沢を少々控えれば、この人たちは安楽に生きていける。
 そう。世界一の贅沢国・日本は、その贅肉をそぎ落とし、スリムな価値軸に転換しさえすれば、小振りな高度文化国家として蘇ることができる…私は長年そう信じてきた。50年間の贅肉落としこそが肝要だと。
 ところが、私が敬愛する若者は、これを欺瞞と否定した。若者はもう贅沢などしていないという。「願望」三昧「安定」三昧に「贅沢」三昧で、年寄たちはよかっただろうけど、日本社会は贅肉どころか、もうすっかりやせ細ってしまっている…と。
   展望もないまま無責任に、絶望だけを自分たちに放り投げようとする年寄たちを、もう信じることはできない…と。
   そう、日本にはもう「その時」が来たのだろう。責任感も展望もなく「逃げ切り」をはかる年寄たち、団塊の世代以上は、国家の命運決定の場面から潔く引きさがり、40歳の若者に一挙に主役を禅譲すべし。 
   思い起こせば、40歳の時の自分たちも、老害を憂えながら自信満々で活躍していた。国を動かすに40歳は十分である。
   人生90年。40歳のリーダーたちにとって残り50年は自分の命の期間だ。だから、新しいリーダーたちは、その50年のことを、自分の問題として必死に考え抜くだろう。
   国家百年の大計には満たないが、日本のリーダーたちが、50年後の国家のことまで考える…これまでの日本になかったことが行われる。年寄が退いてこその快挙である。
 年寄は潔く権力の場から引退し、一介の良識ある選挙民となり、40歳以下の候補者だけにしか投票しないことだ。政界は、国民一人ひとりの投票で若返る。私的機関としての財界を、国民は直接には変革できないが、政界の大幅若返りで、財界のリーダーたちにも禅譲の気運が生じよう。

 若者たちよ、これでやっと君たちの時代がやってくる。大きな課題を背負わされてきつかろうが、どうか許してくれたまえ。「これからは己の才覚で事を処していける」…その喜びに勝るものはないのだから。そしてそれは、年寄どもが懺悔の心で身を退くからこそ、手に入るのだから。【工藤】

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