社長コラム
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いま、大企業の存在意義を問う
2018年新春号
神戸製鋼や日産やスバルの無資格検査や東芝の決算内容の改ざん等の違反行為が、30年以上も前から続いているという。そしてまたぞろ、三菱マテリアルグループでも東レグループでも、検査データの改ざんが行われていることが報じられた。信じられないことに、大企業の企業倫理は、30年以上も前から崩壊してきているということだ。
大企業は、長い長い低迷のトンネルの中にあって、昔勝ち取った領域を維持するのに窮々とするだけで、企業の第一の役割である「勇気ある挑戦」による新たな社会的価値の創造を怠ってきたきらいがある。自ら社会的存在意義を希薄化してきたというわけだ。
不景気のトンネルの中で、企業の設備投資にほとんど伸びはなく、むしろ減少している(資料①)。「従来並みの投資」と「決断の先送り」を20年間も繰り返すだけで、社会を活性化する牽引者としての気概を欠いてきた。戦後70年経って、社会のシステムもインフラも、なべて制度疲労を起こしつつある、その大切な潮時においてである。
一方で、 企業の内部留保は、この28年間で、100兆円から400兆円に、4倍という異常な増加を来している(資料②)。
内部留保は、それ自体が企業活動の最終目的ではない。儲けたら意欲的に再投資し、社会のパイを大きくしながら充実させる…これが企業存在の意義である。
そして企業は、儲けさせてもらったら、従業員の生活を守るという、もうひとつの義務をも負っている。やり甲斐のある仕事を与え、雇用を守り、お給料できちんと報いることである。
しかし今の企業は、内部留保をしこたま溜め込むばかりで、従業員のお給料を長年上げてはいない。実質賃金の推移を見てみると、この25年間で賃金は減少している(資料③)。統計によっては、15%減少しているという。
そしてまた、企業の重要な役割である雇用の安定にもホコロビが出ている。この30年間、正規雇用者の比率が減り続け、非正規雇用者の割合が大幅に増えている(資料④)。終身雇用を本旨としてきた日本の企業はいまや、雇用の40%を、いつでも勝手に首切れる非正規社員にシフトしてしまっている(資料⑤)。
以上が、大企業が中心になって切り盛りしてきた約30年にわたる企業活動の現実である。
勇気ある投資を怠り、内部留保は溜め込むが、社員の雇用と給与には誠意を見せない…哲学を失くしたこの大企業というピラミッド組織には、その生命線である「現場」に白け現象が起きてしまい、その背骨は腐り始めている。
矜持と勇気をもたないトップ、部下を守ってやらない上司と白けた正規社員のやりとりを、醒めた眼差しで見つめている非正規社員…そこには、古き良き時代の現場の最先端にあった、信頼感に仲間意識、連帯感が極めて希薄である。この白け状況だから、無免許検査を続けたり、資料を改竄したりの違法行為を、あえて糺そうとするものなど出て来はしない。
検挙された当事者たち以外は「知らなかった!」というのが釈明の常套手段だが、果たして本当にそうなのか?「知らなかった」と弁解するトップが、違反撲滅のラッパを吹いても、何がどうなるものでもない。神戸製鋼でも日産でも、トップが是正したと公言した後も、現場では違反行為が続いている。
日本企業の大切な宝物だった、会社への信頼感、社員同士の仲間意識と連帯感は、いったい、いつからどうして崩れたのだろうか?
私には、この件について、確信に近い見当がついている。
バブルが崩壊した1991年ごろに「リストラ」という造語が登場し、それまでの終身雇用に手が付けられ始め、会社都合の首切りが始まって、その後「失われた20年」の間、首切りが繰り返されてきた。
当初は、不適社員を掃き出す形で行われたものが、その程度の首切りでは間尺にあわなくなり、それまで会社の宝物とされてきた「中間管理層」…その象徴である「課長」職にある者までを解雇の対象とすることとなった。
課長はそれまで、リストラ推進の当事者として、会社のために泣きながらかわいい部下たちの首を切ってきた。
そのうち、もしやいずれは…と恐れていたように、自分の首を差し出す羽目に陥って、会社を呪う運命となる。
人事担当課長や各部門の調整役の課長は、自称エリートなので、まさか自分.の首が飛ぶとは思わないが、一緒に会社を支え合ってきた同期、同僚の首を切る段になると、さすがに会社への忠誠心が揺らぎ、心が遊(すさ)み白けてくる…これが大企業の背骨を腐らせてきた真の要因であり、その遊みが急速に社全体の雰囲気を毒してきたと私は思う。
企業間を比較的自由に横断できる西欧の横断的な労働市場とちがい、一企業内での就業を前提とした独特の縦型労働市場の中で、日本の大企業は、会社への強い忠誠心を醸成し、中間層という宝の山を創り上げてきた。しかし、大企業のヒエラルキーの中には、もはや主体者も仲間も不在なのではないか?何が起きようとも、もはや皆が観戦者なのではないか。
敗戦の灰塵の中から、世界が驚く高度成長経済を実現し、世界が羨む「JAPANブランド」を構築してきた古き良き時代の大企業は、トップの確固たる矜持と勇気に、社員の強固な忠誠心と連帯感が溶け合って、偉業を成し遂げてきた。
30年以上の倫理違反を繰り返してきた神戸製鋼や日産や東芝の社長たちが、
「社員の主体者意識が欠如していた」とか、「現場と管理部門の間に壁があった」などと、マスコミの前で恥ずかしげもなくのたまってしまう大企業のヒエラルキーの中には、古き良き時代に培ってきた宝物はもはや散逸してしまっているのではないか。企業哲学を無くし企業倫理も失くして、同胞意識も信頼感も希薄化してしまっている大企業を、今後一体、どこから誰がどのように立て直し、社会の中での存在意義を回復する道筋をつけるのだろうか。
世界中が、対立と抗争に明け暮れ、混乱のさなかにある中で、急速に地盤沈下しつつある日本社会…その牽引車であるはずの大企業がこのような体たらくである以上、JAPANブランドの将来は、自社ブランドにこだわり抜き仲間と苦楽を共にしている、日本が誇る中小企業と、蛮勇溢れるベンチャー企業に託すしかないのだろうか!
大企業は、長い長い低迷のトンネルの中にあって、昔勝ち取った領域を維持するのに窮々とするだけで、企業の第一の役割である「勇気ある挑戦」による新たな社会的価値の創造を怠ってきたきらいがある。自ら社会的存在意義を希薄化してきたというわけだ。
不景気のトンネルの中で、企業の設備投資にほとんど伸びはなく、むしろ減少している(資料①)。「従来並みの投資」と「決断の先送り」を20年間も繰り返すだけで、社会を活性化する牽引者としての気概を欠いてきた。戦後70年経って、社会のシステムもインフラも、なべて制度疲労を起こしつつある、その大切な潮時においてである。
一方で、 企業の内部留保は、この28年間で、100兆円から400兆円に、4倍という異常な増加を来している(資料②)。
内部留保は、それ自体が企業活動の最終目的ではない。儲けたら意欲的に再投資し、社会のパイを大きくしながら充実させる…これが企業存在の意義である。
そして企業は、儲けさせてもらったら、従業員の生活を守るという、もうひとつの義務をも負っている。やり甲斐のある仕事を与え、雇用を守り、お給料できちんと報いることである。
しかし今の企業は、内部留保をしこたま溜め込むばかりで、従業員のお給料を長年上げてはいない。実質賃金の推移を見てみると、この25年間で賃金は減少している(資料③)。統計によっては、15%減少しているという。
そしてまた、企業の重要な役割である雇用の安定にもホコロビが出ている。この30年間、正規雇用者の比率が減り続け、非正規雇用者の割合が大幅に増えている(資料④)。終身雇用を本旨としてきた日本の企業はいまや、雇用の40%を、いつでも勝手に首切れる非正規社員にシフトしてしまっている(資料⑤)。
以上が、大企業が中心になって切り盛りしてきた約30年にわたる企業活動の現実である。
勇気ある投資を怠り、内部留保は溜め込むが、社員の雇用と給与には誠意を見せない…哲学を失くしたこの大企業というピラミッド組織には、その生命線である「現場」に白け現象が起きてしまい、その背骨は腐り始めている。
矜持と勇気をもたないトップ、部下を守ってやらない上司と白けた正規社員のやりとりを、醒めた眼差しで見つめている非正規社員…そこには、古き良き時代の現場の最先端にあった、信頼感に仲間意識、連帯感が極めて希薄である。この白け状況だから、無免許検査を続けたり、資料を改竄したりの違法行為を、あえて糺そうとするものなど出て来はしない。
検挙された当事者たち以外は「知らなかった!」というのが釈明の常套手段だが、果たして本当にそうなのか?「知らなかった」と弁解するトップが、違反撲滅のラッパを吹いても、何がどうなるものでもない。神戸製鋼でも日産でも、トップが是正したと公言した後も、現場では違反行為が続いている。
日本企業の大切な宝物だった、会社への信頼感、社員同士の仲間意識と連帯感は、いったい、いつからどうして崩れたのだろうか?
私には、この件について、確信に近い見当がついている。
バブルが崩壊した1991年ごろに「リストラ」という造語が登場し、それまでの終身雇用に手が付けられ始め、会社都合の首切りが始まって、その後「失われた20年」の間、首切りが繰り返されてきた。
当初は、不適社員を掃き出す形で行われたものが、その程度の首切りでは間尺にあわなくなり、それまで会社の宝物とされてきた「中間管理層」…その象徴である「課長」職にある者までを解雇の対象とすることとなった。
課長はそれまで、リストラ推進の当事者として、会社のために泣きながらかわいい部下たちの首を切ってきた。
そのうち、もしやいずれは…と恐れていたように、自分の首を差し出す羽目に陥って、会社を呪う運命となる。
人事担当課長や各部門の調整役の課長は、自称エリートなので、まさか自分.の首が飛ぶとは思わないが、一緒に会社を支え合ってきた同期、同僚の首を切る段になると、さすがに会社への忠誠心が揺らぎ、心が遊(すさ)み白けてくる…これが大企業の背骨を腐らせてきた真の要因であり、その遊みが急速に社全体の雰囲気を毒してきたと私は思う。
企業間を比較的自由に横断できる西欧の横断的な労働市場とちがい、一企業内での就業を前提とした独特の縦型労働市場の中で、日本の大企業は、会社への強い忠誠心を醸成し、中間層という宝の山を創り上げてきた。しかし、大企業のヒエラルキーの中には、もはや主体者も仲間も不在なのではないか?何が起きようとも、もはや皆が観戦者なのではないか。
敗戦の灰塵の中から、世界が驚く高度成長経済を実現し、世界が羨む「JAPANブランド」を構築してきた古き良き時代の大企業は、トップの確固たる矜持と勇気に、社員の強固な忠誠心と連帯感が溶け合って、偉業を成し遂げてきた。
30年以上の倫理違反を繰り返してきた神戸製鋼や日産や東芝の社長たちが、
「社員の主体者意識が欠如していた」とか、「現場と管理部門の間に壁があった」などと、マスコミの前で恥ずかしげもなくのたまってしまう大企業のヒエラルキーの中には、古き良き時代に培ってきた宝物はもはや散逸してしまっているのではないか。企業哲学を無くし企業倫理も失くして、同胞意識も信頼感も希薄化してしまっている大企業を、今後一体、どこから誰がどのように立て直し、社会の中での存在意義を回復する道筋をつけるのだろうか。
世界中が、対立と抗争に明け暮れ、混乱のさなかにある中で、急速に地盤沈下しつつある日本社会…その牽引車であるはずの大企業がこのような体たらくである以上、JAPANブランドの将来は、自社ブランドにこだわり抜き仲間と苦楽を共にしている、日本が誇る中小企業と、蛮勇溢れるベンチャー企業に託すしかないのだろうか!
【工藤】