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77歳でひと休み
2010年8月号
寿命が延びて、否応なしに長い人生を生きることになった。僕は30歳代の後半、40過ぎの上司たちが「俺たちももう下り坂だな~」と自嘲的にしゃべるのがとても厭だった。
当時「60歳定年制」の制度設計を担当していたことで、人間の能力は40歳がピークで、45~50歳から下降するという、とんでもない学説にも付き合わされていた。
人生を、ピークからだらだらと下降していく飽和曲線で考えるのでなく、今の自分を一度燃えきって、どこかで新しい燃焼に向い直す生き方ってないんだろうか?そうすればいくつもの燃焼ができる。
30年以上も前のことだから、今様の第2の人生論みたいなものなどなかった。過去を引きずって窮屈な単線路を走ることがすべてで、それに疑義を差しはさむ奴は、変わり者のドロップアウトと決め付けられた時代だった。
それでも僕は、40~45歳で第1回目の燃焼をしてしまう前に、もっとエキサイテイングな次の燃焼哲学を見つけておきたかった。そして探し続けた。
北条早雲のことを知ったときは、思わず快哉を叫んだものだ。早雲は余計者の第9子として生まれ、馬小屋で悶々と過ごした後、突如60歳になって天運を得、 無手勝流で天下に羽ばたいた。60歳からでも出発できるのか!…これこそ自分の燃焼モデルだと喜んだのも束の間、早雲は天才、凡才の自分の教科書にはなら ないと落胆した。
しばらくして、吉川英治の言葉が目に飛び込んできた。「40多感・50開始・60精励・70成就・80休息」。何と、50歳から始めて、80歳で休息だと!
天才早雲は教科書にならないが、人間を見つめ続けた作家のこのコンセプトに僕は得心し、以来今日まで「50開始~80休息」は僕の背骨を貫いている。
あの世とこの世が真っ二つに割れるという7月15日に、僕は68歳になった。あと3年精出して励んで70成就…仕上げの季節に入る。石の上にも3年…70歳までは熱い貧乏社長で頑張って、たった3年だけでいい、「ゆったり社長」を経験してみたい。積年の夢だ。
さてそれで73歳が終わり、休息の準備に入る。せっせと人さまのお世話をする「江戸のご隠居」スタイルは僕の柄ではないし、その時にはもう、ボランテイアする気力など残ってはいまい。これまでの人生でこだわり抜いてきた「社会性」にも、もうサヨナラしよう。
そして内向きにギア・チェンジだ。妻に懺悔をせねばならぬ。「ま、いっか」せめてこの一言を妻から引き出さないと死にきれない。同じ地球を同じ時に生き合った世界の人びとの顔々々を心に焼き付ける旅にも出たい。
人生のこれまでに「絶対に許さん」と決別した人たちがいる。高いテンションを激しく共有し合ってすれ違った同胞のことはもう水に流そう。むしろ昔の同朋に感謝して心を平らにする…自然の中に風化していくための作法だ。
そして何より、精励期のこの時期にご縁をいただいている方々と、人生の「大喜利」で精一杯の愛を交わしたい。 しめて3年…アッという間に時が過ぎ、77歳の誕生日を迎えることとなる。
吉川さんは、80歳で休息だという。終わりとか死といわずに、ちょっとひと休みと「ほのぼの言葉」を使ったところが天才の天才たるゆえんだ。
だけど僕は、後期高齢者をわずか2年間だけ経験して、あの世とこの世が割れる77歳の7月15日にひと休みする。
もう思う存分生きてきた。やりたいことがなければ、さっさと退散するのが潔いというもんだ。長い人生の最後くらいは潔く散っていきたい。
ボケと失禁は恐怖だ。ボケと失禁でまわりに迷惑をかけてしまったら、せっかく苦労して捨て去った「ポイズン工藤」に逆戻りするから、僕は77歳でひと休みします。皆さん、ホントにありがとうございました。さてそれで死をどうやって制御する?!【工藤】