ニューミレニアムネットワーク株式会社トップページ

社長コラム

工藤さん

++コラム一覧++

2021年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年

「日本人が生きる七つの知恵」新本出版真意:孫たちに伝えたい

2021年1月号

    私は、ある思いに突き動かされて本を書きました。「おじいちゃんから孫たちに伝えたい」という本です。日本人の心情や心根を分かりやすく若者に語りかけたつもりです。なぜ今、そんな語りかけを若者に…それも、なぜ孫たちになのでしょうか。

    いま、コロナウイルス戦争で、世界中が自粛や断捨離を繰り返す中で、近代文明のあり方が根底から問われ、私たちには、自分を見つめ直し、自己の立ち位置を確認し直すことが求められていますが、私たちの立ち位置、日本の立ち位置って、どのようなのでしょうか。

    いま日本社会は、私たちが世界を闊歩した栄光の高度経済成長期の頃に比して 、信じられないほど劣化しています。国連統計「世界幸福度ランキング2020年」によれば、世界の第62位であり、人間の尊厳に関わるジェンダー・ギャップでは世界の121位の後進国、お家芸だったはずの経済分野でも、所得水準は世界の上位20位の圏外に転落、経済成長率は世界の160位、老齢化にいたってはモナコに次ぐ世界第2位等々。JAPAN as NO.1のあのニッポンはどこへ行き、いつの間にこんな有様になったのでしょう。

    こういう日本の舵取りは一筋縄ではいかないと思われますが、私たち、それに 息子や娘子たちは、そんな日本を創った当事者ですから、そこで最後を生きるのは詮方なきことといえましょう。  
しかし、次代を生きる孫たちが、重たいネガテイブ・アセットを初めから背負わされるのはとても不都合で、アンフェア―だと思います。。

    私たちの世代は、社会に出た時から、親たち世代の刻苦勉励により高度経済成 長の準備をしてもらい、元気国家・日本を謳歌させてもらいました。そして、この世からリタイヤ―する段階になって、思いもよらぬ劣化国・日本に直面させられています。受け継いだ「元気国・日本」を「劣化国・日本」にしてしまったのは、私たち自身なのです。
    もう15年ほど前になりますが、あるとき、若いお母さんから、(こんな日本にしたままで、自分たちだけ良い思いをして)「逃げ切りは止めてください」と言われたことがありました。この糾弾の声はそれ以来、耳にこびりついて離れてくれません。私はいま、懺悔の念とともに、せめて人生の最終稿で、孫たちの世代に何かをしてあげたいと願うようになりました。

    しかし、猫かわいがりする以外に、いったい何をしてあげられるのか…それを探すには、日本の劣化がどこで始まったのかを振り返るところに何かのヒントがあるのでは…と考えるようになりました。そして私は、次のことに気づきました。

    もともと日本人は、長い歴史と伝統の中で生きてきています。奈良時代からカウントしても1,300年もの長い時間軸をもち、その中で、世界に例のない、独特の風土を創り、豊かな心情を創り、優しい連帯の心根を創り上げてきました。
    しかし残念なことに、私たちはこの貴重な時間軸を棚上げにしてしまい、高度経済成長前夜の1950年から1973年までのわずか23年の時間軸の中に生きてきました。バブル崩壊以降の「失われた20年」を合わせても、たった61年の短い時間軸の中で、目先のことにとらわれて、上澄みの世界を直線的に、慌て急いで生きてきたように思います。
    私は、日本社会劣化の主因は、この「時間軸の掛け違い」にあるのではないかと気づきました。長い歴史と伝統の時間軸は、「苦あれば楽あり」「楽あれば苦あり」と、ゆったりと喜怒哀楽の前後左右を見渡し学ぶ深呼吸のリズムを持っています。

    私たちは、この歴史や伝統の「ゆったりズム」などかったるくて、今を生きるには無用の長物だと軽視して断絶してしまい、社会を狭苦しく閉じてしまったために、身動きとれなくなって倦んでしまっているのが現状ではないでしょうか。しかしはたして、民族の歴史や伝統と断絶したままの中で、安寧を得ら れている民族などあるのでしょうか。
    そう、いまの日本人にとって大切なのは、断絶してきた歴史や伝統を、自分の生きる時間軸として取り戻すことだと思います。
    この長い歴史的時間軸の「ゆったりズム」の中には、生き生きと生きた人びとの息遣いのリズムが流れている一方で、「したたかリズム」が流れています。
    歴史や伝統の時間軸で生きた人びとは…たとえば江戸人を例にとりますと…「自然を熟愛し、穏やかで人懐っこく、陽気な笑い上戸で、情愛の深い社会をもっている」と、世界の叡智から絶賛されたものでした(渡辺京二著「逝き し世の面影」)。
    また、この江戸人はやさしい一方で、稲荷神社という農業の神様を、自分たちの都合に合わせて、平気で商売繁盛の神様に変えてしまう蛮勇と、陰陽五行という、難解な中国由来の思想を換骨奪胎してしまい、心地よい生活のリズム にしてしまった「したたかさ」を持ち、神聖な「お伊勢参り」の巡礼を、百万人規模の物見遊山の旅に世俗化してしまう洒脱な知恵を持っていました。
短い時間軸で生きた私たちは、このような江戸びとの明るさ、優しさ、逞しさに出会うこともなく、深呼吸のリズムを失って硬直化してしまっているように、私には思われますが、いかがでしょうか。

    さてそれでは、この長い時間軸の所産には、いまでもお目にかかることができるのでしょうか。大丈夫です。年中行事や一生の儀礼の「型」として、私たちが何気なく振舞っている日常の中にしっかりと継承されていますから。
    お恥ずかしいことに、実は私がこのことに気づいたのは、あるハプニングのお陰でした。
    ある日、年輩の仲間が集まり、伝統文化の勉強会をしていましたら、ゲストの35才位の若い女性からやおら手が挙がりました。「無知でお恥ずかしいのですが、『七夕』と書いて、どうして『たなばた』というのですか?」。
    仲間たちは全員固まってしまいました。ただのひとりも答えられなかったからです。

    この女性がお帰りになった後が大変でした。

      *七夕もわからないが、年の初めの門松は何のために飾るのだろう。
      *お神輿担いでワッショイワッショイって、何を言ってんのだろう。
      *日本人はどうして桜の花の下で宴会するのかな~。
      *赤ちゃんの初宮参りは、お母さんとではなく、おばあちゃんとなのはどうして。
      *戒名は、もらわないとバチがあたるのか。
      *世界の衣装の中で、自然の風景を纏っているのは、日本の着物だけらしいけど、なぜだろう。
      *男の子をムスコといって、女の子をムスメというのはなぜ、等々。


    恐ろしいことに、伝統文化を勉強してきたはずの仲間の全員が、これらのどれにも無知であることがわかりました。日常の普通のことなのに…衝撃でした。
    そこで一念発起して勉強してみると、何と、行事・儀礼の中には、私たちが気づかないだけで、生き生きとした息遣いのリズムと知恵が滔々と流れていることがわかりました。
    私はいま、このリズムと知恵をこそ、孫たちの世代に伝えたいと願っています。孫たちが次代を雄々しく生きていけるよう、日本人の遺伝子として継承されてきた「生気」と「知恵」を伝えてあげたいという思いです。

    長い時間軸の中で育まれてきた息遣いのリズムは、実にゆったりしてやさしく、狭量ではなく多様性を尊び、連帯の心根に満ち満ちています。
    ひとつひとつの行事・儀礼の「型」や「作法」を整理分析する中で、私は、七つのリズムを発見出来ましたので、これを「日本人が生きた七つの知恵」として、以下のように名付けました。皆さんにも身近な心情ではないでしょうか。
      ■一つ目の知恵:「安心」を創り出す術
      ■二つ目の知恵 :ダイナミックな宇宙観と死生観
      ■三つ目の知恵:融通無碍の自在な精神
      ■四つ目の知恵:身も心も蘇らせる術
      ■五つ目の知恵:見事な「元気づくり」の術
      ■六つ目の知恵:換骨奪胎・熟達の応用術
      ■七つ目の知恵:優しい連帯の心根

    伝統行事や儀礼の奥底を通して流れている「優しい連帯の心根」は、世界中が「対立と抗争」を繰り返し、「恐怖と憎悪の連鎖」に陥っている(フランシスコ教皇言)中にあって、日本人が世界の中で大きな役割を果たしていける貴 重な宝物です。
    孫たち世代が、この長い歴史的時間軸を取り戻して、そこに蓄積されている「多様で優しい連帯の心根」を継承してくれるよう、ただただ祈るばかりです。
    私たちも経験してきたことですが、世界の人びとと親しくお付き合いしていくには、自分なりの考えをしっかりもっておくことが求められます。
    孫たち若者が、世界と共存する中で、厳しい場面に遭遇することになっても、しっかりと踏ん張ってしあわせをつかみ取るには、ふわふわと惰性の波間を漂うのではなく、自分の基軸がブレないことが肝要だと思います。
    そしてそのためにはまず、自分という人格が、何を継承して成り立っているのか…自分の「日本人としてのアイデンテイテイ」…をしっかり確認する王道から始めてもらう必要があると思います。そしてそこで得た「生気」や「知恵」を血 肉にして、優しく逞しく生きてほしいと願う次第です。

    私はこの本で、日本人の「優しい連帯の心根」を宝物として扱っていますが、これは、私の勝手な思い込みではなく、現実の世界でいま、きちんと立証されていることを最後に紹介させていただきます。
    いま、コロナウイルスと人類の戦いの中で、日本人の生き方の特性が見事に際立っています。世界中の人びとが、国家権力による罰則付きのロックダウン(都市封鎖)の命令に服して戦っていますが、その中で日本人だけが個々人の自制力を恃みにして、行動自粛で戦ってきました。
    なぜ日本人だけが長きにわたって、自制力を継続できたのでしょうか。それは、外国のメデイアも指摘しているように、日本人の胸中には「他人を思いやる気持ち」と「自身を律して」一緒に我慢し合わなければ…という「連帯の規 範」を共有できているからこそです。
    日本人は長い歴史の中で、思い合う優しさと連帯の心根を、常に「心の拠り 所」として大切にしてきており、その宝物が、いまこのコロナ戦争の中で、日 本人の特性として際立っている次第です。

    そしてさらに、このコロナ戦争では、ポスト・コロナの新しい生き方が模索され始めていますが、世界の叡智たちが、この新しい生き方として、日本の「優しい連帯の心根」と高い親和性をもつ、「共生、共感、協力」「寛容」「美しい自然や文化」「連帯、結束」というキーワードを挙げているのが報道されていることを、申し添えさせていただきます。

【工藤】

▲ページトップへもどる